学部長メッセージ

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国際人間科学部長 櫻井 徹 教授

私たちはふだん、自分を中心に多くの“境界線”を心に描いて、生活の道しるべにしています。わが家の家族と隣家の家族、わが町の住民と隣町の住民、わが校の生徒と他校の生徒、わが国の国民と他国の国民、等々。これら2つのグループの間には、境界線がはっきりと目に見える場合もありますし、境界線が見えにくく互いの構成員が相互に浸透しているような場合もあります。つまり、境界線の「内側」と「外側」、「われら」と「彼ら」の区別が明瞭で、双方の間の自由な往来が困難な場合と、そうでない場合とがあると言えましょう。人間が構築するこれらの境界線の中で、私たちの越境に対して最も“堅い”障壁としてしばしば立ち現れるのが、国境線です。もっとも、「隣国との間にもっと高い壁を構築せよ」と主張する大統領が存在する一方で、日本のような島国では、この最も堅い障壁すら、物理的には存在しないことにも注意が必要です。

しかし、さかのぼって考えると、そもそもなぜ“そこ”に国境線は引かれなければならなかったのでしょうか。私たちはふつう、人間の諸集団がそれぞれもつ、異なる言語、異なる文化、異なる宗教、異なる“人種”等が原因となって、それらの集団相互間の境界線が自然と生まれたのではないかと考えがちです。言い換えると、これらの異なる諸要因に基づく“アイデンティティ”の相違が、さまざまな国境線の原因だったと想像するわけです。

およそ20年前、ジグムント・バウマンというポーランド出身の高名な社会学者は、これを大胆に否定しました。彼はむしろ、言語や文化や宗教などの相違に基づくアイデンティティも、社会的集団の間の境界線も、その時々の“移動手段”が人間に課す時間的・費用的な制約が堆積して生まれた社会的創造物である点では変わりがないと主張しました。この考え方によれば、人間にとって“距離”というのは、客観的・物理的にそこに“存在する”ものではなく、その社会の移動手段が人間に与える“速度の限界”の所産にすぎません。私たちが利用できる移動手段がどれだけの時間的・費用的な制約を私たちに課すかが、私たちの自由な移動そのものを制限し、その結果、相異なる集団的アイデンティティと、それらの間に横たわる境界線とを、歴史的に形成してきたというわけです。

近代社会の成立以降、そして特に最近数十年間は、情報、資本、モノ、そして人間の移動手段が長足の進歩を遂げてきました。このことは私たちに何を意味するでしょうか。それは、科学技術とりわけ情報通信技術の発展が、人間に課されてきた“速度の限界”を今や解除し、さまざまな文化圏の間の“距離”の意味を失わせつつあることを意味しています。高度情報化社会、金融資本市場のグローバル化、先進諸国への移民の大規模な流入等、現代社会の諸特徴は、空間的な距離が無効化されつつあることの表れにすぎません。

国際人間科学部に課せられた社会的課題は、私たちの身の周りに生じつつあるこのようなグローバリゼーションの趨勢にひるむことなく立ち向かい、現代社会に生じている諸課題を、さまざまな境界線を乗り越えて多くの人々と協力しながら解決へと導くことのできる人材―協働型グローバル人材―を養成することです。本学部は、現代社会が要請する様々なスキルを駆使して、グローバル・イシューに正面から取り組む意欲のある学生とともに、学び、行動し、発信することをめざしています。

私たちの住む世界は、これまでも、そしてこれからも、不完全なものでありつづけるのかもしれません。それでも、教育・研究を通じてこの世界が抱えている諸課題を少しでも解決の方向に導く使命が、大学人には課せられていると思います。知的好奇心と情熱にあふれる学生の皆さんと、このような理念を共有し、現代世界の諸問題の解決に貢献するため、ともに学ぶことを楽しみにしています。