学部長メッセージ

学部長

「夏に北海道のフレペの滝という観光地に行ったんですよ」。先日、大学までタクシーを利用した際、運転手さんからこう話しかけられました。「観光客の中に、滝の展望台のごみ拾いを自発的に行っている2人の若者がいたので「どこの学生さんですか」と訊いたら、「神戸大学です」と言うので、ビックリするとともにとてもうれしかったですよ。私も神戸市民なので」と、彼はとても楽しげに語ってくれました。学部名までは訊けなかったそうですが、私も神戸大学の教員として誇らしい思いがしました。目の前の自己利益でなく公共の場の美観のために、自分の時間と労力を惜しまず払うことができるというのは、疑問の余地なく称賛すべき心柄だと思います。

私たちはふだん、自分を中心に多くの“境界線”を心に描いて、生活の道しるべにしています。わが家の家族と隣家の家族、わが校の生徒と他校の生徒、わが国の国民と他国の国民、等々。倫理学では、自分の家族とか友人とか、自分と特別の関係をもつ人々に対しては負うが、それ以外の人々には負わないとされる義務を、特別の義務 (special obligation) と呼びます。実際、私たちは、社会的により近い関係にある人たちにいっそう多くの共感や同情を抱く傾向があり、この傾向が雇用や指名における「えこひいき」として表れるときは非難の対象にもなります。他方、自分の家族が困っているときに手助けしたりいたわったりすることは、私たちの当然の義務とみなされます。自宅を掃除したからといって―親はともかく―誰も褒めてくれませんし、友人宅の大掃除に参加したからといって社会的称賛を集めることもありません。冒頭の青年たちが称賛を集めたのは、家族や友人の範囲を画する境界線を身軽に乗り越えて、“身内”の外側にある“公共の利益”を促進したからです。

20世紀後半から情報、資本、モノ、そして人間の移動手段が長足の進歩を遂げた結果、これらが国家や地域の間の境界線を乗り越えて大規模に移動するグローバリゼーションという現象が立ち現れています。グローバリゼーションの時代において、私たちは、他国民に対しては負わない“特別の義務”を同国民に対して果たして負うのかという論点が、今新たに議論を集めています。

国際人間科学部の教育目標は、グローバリゼーションの趨勢に立ち向かい、現代社会が抱える諸課題を、様々な境界線を乗り越えて多くの人々と協力しながら解決へ導くことのできる“協働型グローバル人材”を養成することです。件の学生たちのように、身内のためだけでなく、匿名の“他人”のためにエネルギーを注ぐことができるというのは、“協働型グローバル人材”にも求められる品性だと思います。私たちは、彼らがしたのと同じように、果たして国境線を乗り越えられるでしょうか。国境線をはじめ、多様な境界線を乗り越える意欲と気概を伸ばすことは、本学部の大切な使命の一つだと考えています。